日々精進

「食」の大切さを。

肉食主義を離れ理性的で正統の食餌選択を | メラニー・ジョイ | TEDxMünche

www.ted-ja.com

我々がとっている日常の行動の中には

自分達を十分に生かすどころか、

全くそれに反するものがあります。

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それは、

我々が一個人の人間としての生活にしっかりと根を張った行為です。

自分の考えを歪め、感情を麻痺させ、

我々の真価に反する行動を

毎日我々はとっています。

どんな冷静な人も悲しみで涙してしまうような

全世界で行われている残虐な行為です。

 

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我々はこの行為をやめようと思えばできるのですが、

ただそれが理不尽だとは気づかず、

どんなに破壊的な事か知らず

また、

他に選択肢があることさえ、知らないのです。

最も重要で日常的な行動の中には、

我々が選択しているとはみえない様な事はあるのはなぜでしょう?

これほど蔓延した不合理で破壊的な行為に

なぜ

誰も気づないのでしょう?

 

これは20年前に肉食に関する心理調査を始めた時の疑問です。

そして、

この研究で以外な事が分かったのです。

その不合理と破壊性に気づかず、

我々がそんな行為を続けるには

明白な要因が根本にある事が判明したのです。

私はこれを体系化しました。

それを皆様に伝えたいと思います。

嬉しい事にこの要因に気づいただけで、

我々は

理性的な判断と選択の自由を取り戻し、

人道的で公正な世界作りに

積極的に参加できるようになるのです

 

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 幼少期、家族がフリッツと名付ける犬がいました。

私の最初の犬であり、友達でもあり、フリッツと幼い私はいつも一緒にいました。

一緒に遊び、一緒にお昼寝をして、車で遠出をした時、

一緒に車に酔い吐いた事もありました。

フリッツが13歳で肝臓がんで死んだ時、

私はそれまでにない悲しみを感じました。

 

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当時はこのフリッツとの関係が、私の世界観を変え、

この発見へ私を導くとは思いもしませんでした。

フリッツに対する愛情は私だけに特別なものではなく、

我々の殆どは動物への思いやりを、

子供達に動物には思いやりを持って接するようにと教えます。

動物達の遊ぶ姿を見ると私達の心は弾み、

虐待されるの見ると不当な行為に憤りを感じ、

動物達に共感し、彼らの恐怖、喜び、悲しみを感じとります。

今まで動物を飼った事がある方はいますか?

ちょっと手をあげてください。

見渡して下さい。思いやりの心がいっぱいですね。

では、私とフリッツとの関係がどのようにここまで、

私を導いたか説明するために

一つの思考実験をしたいと思います。

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ある晩餐会に招かれたとします。

そこでこのような料理が出ました。

これを見て、

美味しそうとか、胸が悪くなりそうか考えて下さい。

美味しそうに見えた方がレシピを家の方に訊ねると、

その秘密はその肉にあるのだという返事が返ってきたのです。

「それは1.5キロの美味しく料理されたゴールデンレトリバーです」

さあ、自分の思考と気持ちを見つめて下さい。

ほんの今、ただの食べ物だと思っていた物が、

あなたに動物の死骸を連想させ、

「美味しそう」から「気持ちが悪い」に変わり、

この肉を見る目が劇的に変わった人が殆どでしょう。

その肉自体、実際は何も変わっていないのです。

では、何が変わったのでしょう?

変わったのはあなたの肉に対する見方です。

 

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肉食に関しての我々の観念は全てではないにしても、

主に我々の文化によって作られます。

世界の肉食文化では7万種以上の動物からほんの一握りを選び、

食用の部類に入れ、残りは食べられないと思うのが普通です。

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なぜ、食肉用とされている動物を我々は平気で食べているのでしょう?

なぜ、そんな疑問が湧かないのでしょう?

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食用とそうでない動物があるのか、

今まで、考えた事がありますか?

 私自身、肉食に選択があるなんて考えた事がありませんでした。

肉食に賛成かどうかなんて訊ねられた事もありませんでした。

動物の肉を食べるのは当たり前で別に変だと思わなかった。

 

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犬を撫ぜながら、もう一方の手でポークを食べていたのです。

ポークはフリッツと同じように知能の高い動物でした。

正直、矛盾に関しては考えた事もありませんでした。

その方が楽だったので・・。

 

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それが、1989年に人生最後のハンバーグを食べ、

入院をするような事が起きてから、疑問を持つようになるまでの事でした。

カンピロバクターという、危険な細菌で食中毒になったのです。

やっと回復してもう二度と、肉は食べないと誓い、

興味深い事がおきたのです。

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肉をやめてから私の物の見方が大きく変わったのです。

言い換えると今まで見ていた同じ物が以前と違って見え出したのです。

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ビーフシチューがゴールデンレトリバーシチューに見え、

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どちらを向いても人々が

何の疑いもなく死んだ動物の肉を口に運んでいる姿に見えるのです。

私と同じように理性や心ある人々なのに、

彼らは考える事も感じる事もやめてしまったのだろうかと

不思議でいられなくなったのです。

修士号博士号を取得後、私のその答えが出ました。

これが私の発見した事です。

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習慣的に我々が決まった種の動物を食べる事には、

ある信念と主義の体系が隠れていたのです。

私はそれを肉食主義と名付けました。

菜食主義や完全菜食主義だけが信念体系があると思われがちですが、

肉を食べなくて済むなら、こんにち、世界の多くがそうですが、

肉食は選択になります。

選択には必ず、信念に基づていています。

 

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肉食は支配的な信条です。

つまり、広く行われているその主義は、

選択というより、自然に与えられたかのように、

肉食は当然の事のようになっているのです。

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そしてそれは残虐な主義なのです。

肉食産過程に於ける残虐は無視できません。

卵や乳製品生産過程でも動物が苦しんでいます。

肉食主義のような主義は真の人の道において、

我々が重んじる同情・正義・そして真性さに反した行動です。

そういう行動をとるには、我々の考えを歪ませ

感情を麻痺させる防衛機能を働かせなくてはなりません。

そうやっている事はよく分からないまま、

我々の価値観に関する行動をとっているのです。

肉食主義の主な防衛策も否認です。

その多くは現実からの目を背ける事で表されています。

主義そのものは、目に見えません。

その犠牲者もそうですね。

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例えば、世界で週に12億の家畜が殺されています。

という事実は人類史上の全戦死者数より多い家畜が毎週、殺されているという事です。

 

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食肉用に飼育された動物をどれくらい見た事がありますか?

どんな所にいますか?

我々が食べる肉や卵、乳製品の約98%は事実上、

誰も探せない様な人里離れた畜産農場の窓もない

養殖場で飼育された動物から来たものです。

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これらの動物は商品化扱いされても

各々知覚や知性のある貴重な命を持った動物です。

 

これから2分間、畜産工場のビデオをお見せしますが、(9分20秒あたりから)

目を背けたくなるかもしれません。

これはただ、皆様の認識を高めようという意図で

隠されているものを曝(さら)け出す必要があるからです。

精神的ショックを与えすぎず十分に伝い事は行えると思い

これを選びましたが、

とても見れないと思われるなら、目を閉じ耳を塞いで下さい。

(9分39秒~11分41秒)

見るに堪えられないですね。。

見る者にはその辛さはここまでですが、

先に進む前に指摘しておきたい事があります。

ご覧になったビデオは業界で一般的に行われている事で、

同じ様な事が人道的だと言われる動物飼育施設でも起きています。

 

 

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共感から来る我々の痛みは人としての貴重な特質で我々自身の人間性

反映する鏡です。

動物達が我々の肉食主義を支えているのは明らかで

我々のシステムの犠牲となり、

健康でその支払いをしているのです。

 

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肉を主にした食生活が深刻な病気を引き起こす一方、

野菜を主とした又は完全菜食主義の食生活は健康を最善保ちます。

肉食と引き換えに我々は心臓ではなく心も病み、

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共感する心や冷静な判断力を失っているのです。

勿論、実情を隠しているだけではこのシステムは続きません。

その事実は日常に垣間見れます。

だから肉食主義を正当化する必要があるのです。

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 その肉食を正当化する方法とは、

一般的に言われている肉・卵・乳製製品の必要性を信じ込ませようとする事です。

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この偽説は主に次のようにNで始まる3つの正当化する言葉で表現され

肉食は・・・

何が次にくると思います?

「普通・自然」

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「必要」

どこかで聞いた事はありませんか?

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奴隷制度は「普通・自然・必要」

 

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男性優位は「普通・自然・必要」f:id:kukki104:20180308201442j:image

異性愛者至高は普通・自然・必要

 

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他の支配的な暴力的価値体系と共に肉食主義の偽説は組織化され、

肉食的な偏見がそのシステムの中に埋め込まれているのです。

肉食主義のような組織化されたシステムの中で生まれた我々は

その概念を自分のものとしてしまい、

肉食主義の概念で世界を見ています。

肉食主義を正当化する言葉で家畜に対する見方が歪められています。

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例えば、肉食主義の組織の中で我々は家畜を抽象化された

個性のないものと見なすように教育されます。

 

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 豚はどの豚も全部同じだと。。

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肉食主義でこのシステムの愚かさが見えなくなっているのです。

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ボルテールの言う通り

「我々がばかげたことを信じるなら我々はきっと暴力に与えることとなる」

肉食主義だけが、人類の於ける残酷な行為や概念ではありません。

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その犠牲者の経験はそれぞれ特異なもののようですが、

概念そのものは皆似寄り、その残虐行為に裏にある姿勢は皆同じで、

 

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特権と抑制からくる支配と服従の精神です。

 

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それは我々から人間性を奪い、

生命を製品化してしまうのです。

勝てば官軍の精神、だたそういう力があるというだけで

弱者の生命の死を思うがままにする権利があるという精神です。

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それを我々の行動を正当化しようと

被害者がただ、未開人・女性・動物だから

それが肉食の精神なのです。

それで残虐な概念全てに通じる共通の手繰れないとなると

さらに新しい残虐行為すら生みだすことでしょう。

でもこれらの共通の糸を見極めると

すべての形ある残虐行性を解き明かす事ができます。

ここで最終的な質問です。

その解決法は?

どうすれば、我々が生き方を自ら選び、

力の限り生きられるのでしょう?

 

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解決法は我々の手中にあります。

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17分前の肉食主義の認識が皆さまにはなかったかも知れません。

肉食主義は我々の理性・感情・価値観を

麻痺させてしまう隠れた概念で

世界中で行われている不当行為です。

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肉食主義に気づかれなかった方も

気づいています。認識しています。その認識が解決の一歩です。

認識から次に行動が続きます。

認識は常に残虐な概念に対する防御手段でした。

実質的に考える全ての残虐行為が行われたのは、

一般大衆が見るに耐えないと感じる現実から

目を背けてきたからです。

殆ど、全ての革命

社会革命が起こった理由は

真実を意識して真実を認識した人々、

認識した事を行動に移した人々がいたからです。

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そして、嬉しい事に肉食主義に代わるものがあるのです。

肉食主義に対比する完全菜食主義運動です。

こんにち、世界で最も急速に進展している社会主義運動の一つです。

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もう一つ、嬉しい事は小さな変革で大きな影響を及ぼす事ができるということです。

肉や卵そして乳製品の消費を減らし、ゆくゆくは肉食主義を根絶できます。

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まず、最初に1日または1週間に一食だけ菜食にすることができます。

 

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そして、肉食主義の認識を広めます。

それが私の団体beyondCairnsmの使命です。

方法は簡単です。

皆様は周りの人々にこのトークを話をし

その人達も同じ事をするのです。

肉食主義に対する認識がいずれ本格化し、

世界的なパラダイム変化を起こすでしょう。

我々は世界を変える事が出来るのです。

 

 あなたが肉食主義に対する問題意識を

広めるに値するアイデアを信じるならば。

 

ネコトハナト

 

菜食で平和を! (veggy Books)

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わたしが肉食をやめた理由 (いのちと環境ライブラリー)

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